朝からお嬢様は不機嫌だった。
今日は水泳大会。夏と春の休みに通っている水泳教室で、今年初めて25mを泳げるようになったお嬢様。根っからのチャレンジャーの彼女は、今年「25m自由形」にエントリーしたという。実はそれだけではなかった。「50m背泳ぎ」「100mリレー」にもエントリーしたと言うではないか!!

…ウソでしょう??思わず我が耳を疑った母であった。
結局「50m背泳ぎ」はエントリーを抹消してきたらしいが、お嬢様はろくに泳いでいない。今週初めからお腹の調子が悪かったこともあり、まともに練習をしていないのだ。

確かにスイミングでは25m泳げた。
でもそれから一度たりとも泳いだところを見たことないぞ……案の定、お嬢様は怯えていた。怖さが身体に現れ始めていた。自信喪失は目線の下降につながり、猫背となり、ついにはつぶやきシローになり、最後は涙目になっていた。

今朝はどんなにたたき起こしても起きてこない。
そしてお嬢様は大声で泣いた。「ママ〜、お腹痛い〜」

お嬢様はとても理想が高い。だから「かっこいいところをママに見せたい」のだけれど、見せたい姿と現実とのギャップの大きさに気付く年齢になっていた。
 娘「ママ、学校に来なくていいから」
 母「どうしてこなくていいと思うの?」
 娘「だって私はビリだし、25mの途中で足ついちゃうし…」

だんだん腹が立ってきた!
感情的になりそうな自分を押さえるのが精一杯だった。
こうしたときはその場を去るのが一番だ。

そして一歩一歩、重い足取りで階段を下りてきたお嬢様。
彼女を捕まえて家族に聞こえない(だろう)部屋に連れ込み、一気にまくし立てた。

 母「ママはね、一生懸命に頑張るHaruが好きなんだよ。
   泳げなくてもビリでもいいじゃない!
   頑張っていることが一番きれいで素敵なことなんだよ!」
 娘「ママ〜私怖いの…(号泣)」

抱きついてきた娘は本当に怯えていた。
 母「いいの、いいの。泳げないところから始まったんだから。
   できるところまでやってみようよ。
   できたところを啓子先生(2年までの学級担任)に
   報告の手紙を書こうよ。Haruが泳げなかったこと、
   啓子先生が一番知っているんだから。
   一輪車と一緒だよ。泳げなくてもお腹と地球がつながっているんだから。
   大丈夫だよ。ママが応援しているんだから。
   …ママ、頑張るHaruを見に行ってもいいかな?」

「うん」とは言わなかったけれど、まずはご飯を食べさせる。

そしてここのところ毎日練習していた一輪車に乗りたいと、朝食後に練習を始める。
この奮闘記はまた後日書く予定だけれど、彼女はいつもより長く、何かを確認するかのように乗っていた。そして発した一言を私は聞き逃さなかった。「うん、大丈夫!」

そして大会本番。
お嬢様は案の定ビリ。おまけに基本クロールだけど息継ぎが完璧じゃないので、息継ぎは犬かきだったりする。それでも足をつかず最後まで泳ぎ切った25m自由形。

…これで終わりと思いたい母の思いをよそに、100mリレーが行われる。
これまたビリで到着。でも暖かい拍手をたくさん頂くことができた。
終わってから「どうして最後なのに拍手して貰えたのかな?」といぶかしがるお嬢様。「それは頑張った人にだけ送られるものなんだよ」と満足げな母、ここにあり。

この日は満面の笑顔で家に飛び込んで帰ってきた。
何はともあれ泳ぎ切った満足感で一杯の様子。
 母「よかったね。スイミングスクールでの課題、また一つ見つかったね」とあくまで鞭打つ鬼母だけど、短期集中スイミングへ行くこと自体やめたいと大泣きしていた今朝のお嬢様のことを考えると、目標をつけておくのも一つなのかもしれない。

こうしてまた一つ、大人になっていく娘。
「行きたくない」と泣いて抱きつかれるのも、実は残りわずかなのかもしれない…
昨日のリベンジ。
今日は違う方がいらした。

あれこれ調べていたら、どうやら父の部屋では
大元の電波を拾うのではなく、
他の家の電波を拾っていたらしいことが判明。

父の部屋は電波が届かない…?
2008.09.02 ネット障害
父の部屋のパソコン状態がおかしい。

人を頼んで見て貰ったところ、
説明が悪かったのか?
メールの事だけ調べて帰ってしまった。

それで治ったと思っていた。

その後ウイルスソフトを入れたところ、すぐにネットが落ちた。
不明な電波、無線機の無反応…つっこみどころ、満載。

格闘は明日以降に持ち越しに…。
2008.09.01 地震の思い出
初めて地震が怖いと思ったのは、中学生の時に起きた「宮城沖地震」だった。
部員が少なかったので、空き教室を借りて部活(剣道)を行って居た私達。
立ってられない揺れに驚くと同時に、とてつもない音が鳴り響いた。

当時アルミでできていたトレイは、洗って交互に積み重ねられていたのだが、
各教室にあったそれが一斉に崩れたその音だった。

そして天井から吊られていた電灯が落ちる。
大きな悲鳴と共に立ちすくむ私達。

ガラスの破片に気を取られ、足下ばかり気にしていた私達。
ふと防具を取って後片付けを始めようとしたときに
大きなガラスの破片が頭のてっぺんに刺さり、わずかな隙間から防具の中に
入り込んでいたことに気付く。

外でソフトボールをしていた友人は
「校庭が波打っていた」と言い、
帰り際に校舎を一回りしてみたら、校舎がまっぷたつに割れていた。

家に帰るとさらにひどく、私は部屋にはいることができなかった。
ドアの隣にあった本棚が倒れ、本が散乱してドアをふさいでいたからだ。

その後屋根に登り瓦屋根を調べ、遠くを見た景色をふと思い出した。
あの日はとても晴れていた。


今日は防災の日。
想像するになお余りある○年前の「関東大震災」は
どんな状態だったのだろう?…と思いを馳せる。
2008.08.31 24時間テレビ
普段は見ない24時間テレビ。
でも今日は特別。時間を気にしながら見ていた。

目的は「SPEED」再結成。
彼女たちの歌が好き、ダンスが好き。それに気付いたのは解散してからだった。

ホンの一瞬だったけど、
大々的に宣伝をしていたわけではないけれど
それでも一瞬見ることができた、大人になった彼女たち。それだけで十分。

これからもきっと心のどこかで彼女たちを追いかけるに違いないと思いつつ、
やっぱりミーハーなんだわ…と、我が身の普段は見えない部分を省みる。

2008.08.30 てんやわんや
Ruruゴンが私の耳元でささやいた。
「ねーね(私のこと) マニキュアしないの?」

そうなのだ。Ruruはマニキュア大好き!
オシャレ大好き!

彼女のオシャレはママ達のオシャレの感覚と違うようで
それをはっきり自己主張する。

「ご飯を全部食べたらしてあげる…」と囁くねーね。(伯母の私)
最初「お腹いっぱい」と残していた夕飯を
結局おにぎりにして全部平らげた。

…仕方ない。やるか…

彼女はしっかりマニキュアがどこにあるのか?把握していた。
塗ってあげたら満足そう。

「お姉ちゃんだったのね〜」と妹に一喝。
仕方ないね。彼女が所望し、約束を果たしたわけだから。

あらしの週末にピリオドが打たれた。
明日はのんびりできるかな?
2008.08.29 あらしの夜に
お嬢様の少林寺のお迎え。
行こうとしたら止められた。「まだ早いでしょ?」

そして行こうとしたところ、
ものすごい落雷と集中豪雨。
バケツをひっくり返したとはまさにこのこと?

到着するとお嬢様が半べそ状態。
確かに一瞬だけど、昼間のような明るさになる。

地球のエネルギーの大きさを知る瞬間。
それだけのエネルギーが放出されているほど、
地球に何かが起きているらしい…
2008.08.28 そして再び…
手帳から一枚の名刺が出てきた。

「ふ〜ん…こんな肩書きついてたんだ…」

そしてその名刺の人から電話が入る。

ふむ…どうやらまたしても引き寄せてしまったらしい。

仕事の最中に一本の電話。
もちろん受け取ることができなかったけれど、
後でかけ直すことができるのが携帯電話のいいところ。

かけ直すと意外な方からの電話。
急遽会うことになる。

他愛のない話の中、会ってなかった時期の話が積もり、
どれだけの時期会わなかったを嫌でも再確認させられ
改めてその時間の長さに驚く。

その間に必要なことは手にできたのだろうか?…と、
知らず思わず振り返る。不安な私に対して、
「私にとって必要な、十分な時間を過ごしたのだ」と言い聞かせる。
お嬢様と少林寺へ。
通常町営体育館を借り切って、悠々とのびのびと型の稽古をする。

今日は学校が始まって最初の稽古。
いつもの通り早めにいって、お掃除をしようと体育館に入ったとき

「ワッ」 お嬢様の奇声。

何事かと思った私は、「むやみに大声を出すのではない!」とお嬢様をたしなめ、いざ私もモップを取りに壇上脇にある倉庫の方へ一歩足を踏み入れて驚いた。

「なに?これ〜?」

壇上はまるで戦国武将が鎮座しているかのごとく、人がうずくまって見えた。倉庫には和太鼓。そして散乱した防具入れ。ここのところ変なことが続いている私にも、ついに○○が見えるようになったのかぁっ!(…の訳はないのだけれど、本気で驚いたニュアンスはかぎ取って欲しい)と思ったくらい、ひな壇のように剣道の胴がきれいに並べられていた。

どうやら帝京大学剣道部の練習が行われていたらしい。
夕方になって少林寺が始まるというので、壇上に並べて帰ったのだろう。


今日は肌寒かったこともあって、いつもなら颯爽と開ける窓も今日は迷っていた私。そこへ先生のご到着。「いかがいたしましょう?」とお伺いを立てると、お年を召したA先生の一言「それにしても臭いですね〜」 鶴の一声で窓は全て開け放つことに決定。(…確かに臭い)

しかし実はowner、中学時代に剣道部。
だからというわけではないけれど、並べられている胴をみたときに、防具特有の臭いと小手の中の(妙な)手のあそび(小手は結構ゆるめにつけていた)と汗のぬめりを一瞬で思い出した。あの臭さも妙に「懐かしい…」と思えるから不思議。そんなにまじめに剣道をしていたわけでもないのに…。

はじめに掃除、最後に掃除の(当時の)剣道部。
なぜか?ぞうきんも臭かった。もちろん竹刀も臭いし剣道着も臭い。竹刀の持ち手と小手は革でできているので洗うに洗えず、もちろん自分の防具ではないので歴代の先輩達の汗と涙が染みついて臭い。臭いばかりではなく、革がカパカパになっていてすごい状態になっている。頭にさらし手ぬぐいを撒いて面をつけるのだが、当然それも臭い。だいたいつけようとしてふとみると、前回の汗がシオとなって年輪のように浮いているんだからそれだけでもすごい絵だ。幸いにも私は忘れたことはないけれど、部員の中には何度か忘れ、「この間と同じものだぁ〜」と臭いタオルに目をつむってつけていた人もいた。「汗かけば一緒よ〜」という彼女はよほどの強者だったに違いない。

それにしても全てが臭う。臭い防具を着けて稽古するのだから、その臭いが移って当然道着も臭い。道着の臭さ+汗の臭いになるわけだから、稽古が終わった後は冗談抜きで全身臭い。臭いから毎回洗えるものは全て洗う!の気持ちで道着を持ち帰って洗うのだが、竹刀で思いっきり叩かれることを想定してか?道着の生地はかなり厚い→よって洗濯しても乾きが悪い→すぐかび臭くなる…やっぱり臭い(号泣)それにしてもあんな臭い部活によくいたものだ。大人になった今、あの頃の私を思いっきり褒めて上げたい。

だからというわけではないけれど、女子部はその臭さに絶えられず、当時発売したばかり?の「8×4」などの消臭剤を振りかけまくっていた(もちろん気休め。そんなの効くよしもない…)。男子部員との部室はかなり離れたところにあったので、防具は当然男子部員の部室へ放り込む(臭いが部室に来ないように)これだけ気をつけていた(つもり)にもかかわらず、今度は男子部員からブーイング。
「防具が女臭くて部室にたまらん!どこかへ持って行け!」結局放り出されてしまう、かわいそうな我らの防具…。

なんだか臭い話になってきた。
このBlogも臭くなりそうだ。
全くの余談になるが、同じ少林寺に子供を通わせているRさんは剣道部つながり。そのRさんも体育館に足を踏み入れた途端「懐かしい〜」と思わず口にし、先生に苦笑いされたという。

あれから○十年。防具の大きな改良はないとみた私。
練習には汗がお約束。だからといって防具にこびりついた特有の臭いは、知っているものには哀愁の香かもしれないが、一般の人には許されるものではない。
ああ剣道部…臭いとの戦いはいつの時代も変わらないらしい…