2008.11.30 (Sun)
2008.11.26 (Wed)
2008.11.15 (Sat)
講評が届きました♪
以前書いた本の紹介、講評が届きました。読んで納得、すんごく勉強になりました。
あそこまでが限界だった私にとって十分な、ありがたい講評となりました。
■『雪のひとひら』ポール・ギャリコ
考察に考察を重ね、表現を絞りに絞る途上で締切を迎えたようなところがあります。たとえば、最初の一文、意図するところはわかるのですが、構文として成立しているかどうか一考が必要です。いまの時点で見直してみればすぐに気づきますね。惜しかった。しかし、引用のうまさや、俳優の名前を年代のインデックスとして用いるなど、編集上の工夫において見どころをたくさん含む創文でした。
あそこまでが限界だった私にとって十分な、ありがたい講評となりました。
■『雪のひとひら』ポール・ギャリコ
考察に考察を重ね、表現を絞りに絞る途上で締切を迎えたようなところがあります。たとえば、最初の一文、意図するところはわかるのですが、構文として成立しているかどうか一考が必要です。いまの時点で見直してみればすぐに気づきますね。惜しかった。しかし、引用のうまさや、俳優の名前を年代のインデックスとして用いるなど、編集上の工夫において見どころをたくさん含む創文でした。
2008.11.08 (Sat)
そして私は途方に暮れる…
一つめの締め切りはあと2時間。
詰めの作業に入っていたら…気絶してしまった。
気がついたら、締め切りを2時間余りオーバーしてた。
…そして私は途方に暮れる…
詰めの作業に入っていたら…気絶してしまった。
気がついたら、締め切りを2時間余りオーバーしてた。
…そして私は途方に暮れる…
2008.10.25 (Sat)
2008.10.20 (Mon)
2008.10.12 (Sun)
続・変化
以下も同じようなことを書いたものです。
昨日に引き続き ”Which do you like better?”
9月下旬になってバナナ人気が急騰。ダイエット特集番組で取り上げられた後、品薄さえ言われている。従来ダイエット食品としての価値が高いバナナ。最近女優・深田恭子が「バナナダイエット」で12キロの減量に成功したことも大きい。産地は南遠方が多く、輸入食品のため発注調整が難しいのも対応の遅れに繋がる。手軽に誰でも取れる食材ゆえ人気だが、警鐘を鳴らず人も多い。この人気は納豆同様一時の流行に過ぎないと思われる。
私はバナナ。今日本では一大ブームが起きている。栄養価も高く繊維も豊富な完全食品だから、昔から離乳食や病人食に活用されていた。さらに今年になってバナナダイエットなるものが提唱、テレビ効果も手伝って引っ張りだこさ。簡単・即効性が問われる今、再評価されたのは頷ける。メタボ予防を言われるここ日本で、若い女性を虜にした功績は大きい。私が米に変わって主食の座を勝ち取り、果物界のヨン様と呼ばれる日も近い。
消化がよく、栄養価が高くて手軽さゆえに離乳食や病人食に利用されていたバナナが今、日本で一大ブームを巻き起こしている。売切御免の店が続出するこの人気。数年前から提唱されていたバナナダイエットに、森公美子ら芸能人がチャレンジ。成果を上げたテレビの視覚効果は絶大だった。また簡単・即効性が問われる現代、最大顧客の女性を虜にしたのも頷ける。米に変わって主食の座を勝ち取り、食品界のヨン様と呼ばれる日も近い。
昨日に引き続き ”Which do you like better?”
9月下旬になってバナナ人気が急騰。ダイエット特集番組で取り上げられた後、品薄さえ言われている。従来ダイエット食品としての価値が高いバナナ。最近女優・深田恭子が「バナナダイエット」で12キロの減量に成功したことも大きい。産地は南遠方が多く、輸入食品のため発注調整が難しいのも対応の遅れに繋がる。手軽に誰でも取れる食材ゆえ人気だが、警鐘を鳴らず人も多い。この人気は納豆同様一時の流行に過ぎないと思われる。
私はバナナ。今日本では一大ブームが起きている。栄養価も高く繊維も豊富な完全食品だから、昔から離乳食や病人食に活用されていた。さらに今年になってバナナダイエットなるものが提唱、テレビ効果も手伝って引っ張りだこさ。簡単・即効性が問われる今、再評価されたのは頷ける。メタボ予防を言われるここ日本で、若い女性を虜にした功績は大きい。私が米に変わって主食の座を勝ち取り、果物界のヨン様と呼ばれる日も近い。
消化がよく、栄養価が高くて手軽さゆえに離乳食や病人食に利用されていたバナナが今、日本で一大ブームを巻き起こしている。売切御免の店が続出するこの人気。数年前から提唱されていたバナナダイエットに、森公美子ら芸能人がチャレンジ。成果を上げたテレビの視覚効果は絶大だった。また簡単・即効性が問われる現代、最大顧客の女性を虜にしたのも頷ける。米に変わって主食の座を勝ち取り、食品界のヨン様と呼ばれる日も近い。
2008.10.11 (Sat)
変化と好み
以下は全て同じこことを書きました。
Which do you like better?
昨日台所で追突事故が発生。犯人は9歳の孫娘。被害者である祖母に言われた一言が気に入らず、通常開いている台所のドアを故意に閉める犯行に及ぶ。それを知らない被害者はドアに激突。額を2針縫う怪我を負った。
昨夜のこと。小言に腹を立て、通常開けてある台所のドアを閉めた孫娘。祖母を閉じこめたつもりらしいが相手には伝わらず、勢い余って激突、額を縫う大怪我に。ちょっとの仕返しがさらに怒られる展開になった。
昨夜ね、我が家で流血騒ぎがあったの。ババ様の小言に怒った孫娘が、仕返しのつもりで台所に閉じ込めたのよ。いつもはドアが開いてるからその調子で歩き出して激突!前よりぎっちりと、泣くまで怒られていたわ。
夕べね、小言を言われた孫娘がババ様を台所に閉じこめたのよ。いつも仕返しなんてしないのによほど腹が立ったのね。結局ドアに額をぶつけて流血騒ぎになっちゃってさぁ。かなりこっぴどく怒られてたわ。
夕べね、小言の仕返しに孫娘が台所のドアを閉めたのよ。ババ様の中で閉めるな!を閉めた、しかも滅多にしない仕返しでしょ?ぶつけて流血騒ぎよ。年長者に刃向かうダブルルール破りだから、がっつり怒っていたわ。
Which do you like better?
昨日台所で追突事故が発生。犯人は9歳の孫娘。被害者である祖母に言われた一言が気に入らず、通常開いている台所のドアを故意に閉める犯行に及ぶ。それを知らない被害者はドアに激突。額を2針縫う怪我を負った。
昨夜のこと。小言に腹を立て、通常開けてある台所のドアを閉めた孫娘。祖母を閉じこめたつもりらしいが相手には伝わらず、勢い余って激突、額を縫う大怪我に。ちょっとの仕返しがさらに怒られる展開になった。
昨夜ね、我が家で流血騒ぎがあったの。ババ様の小言に怒った孫娘が、仕返しのつもりで台所に閉じ込めたのよ。いつもはドアが開いてるからその調子で歩き出して激突!前よりぎっちりと、泣くまで怒られていたわ。
夕べね、小言を言われた孫娘がババ様を台所に閉じこめたのよ。いつも仕返しなんてしないのによほど腹が立ったのね。結局ドアに額をぶつけて流血騒ぎになっちゃってさぁ。かなりこっぴどく怒られてたわ。
夕べね、小言の仕返しに孫娘が台所のドアを閉めたのよ。ババ様の中で閉めるな!を閉めた、しかも滅多にしない仕返しでしょ?ぶつけて流血騒ぎよ。年長者に刃向かうダブルルール破りだから、がっつり怒っていたわ。
2008.10.08 (Wed)
ぐるぐる、ぐるぐる…
答えに窮したそのときは、
一度投げ出してみるのも一つなのか?
昨晩ず〜〜〜っと考えていたあのことが、
今朝になって吹っ切れた。「よし!これだ!!」
朝の5分間でその決断をし、
その結果を待ってみる。
心がこれだけ晴れやかなんだから、
きっとうまくいくに違いない。
一度投げ出してみるのも一つなのか?
昨晩ず〜〜〜っと考えていたあのことが、
今朝になって吹っ切れた。「よし!これだ!!」
朝の5分間でその決断をし、
その結果を待ってみる。
心がこれだけ晴れやかなんだから、
きっとうまくいくに違いない。
2008.08.17 (Sun)
4ヶ月16週間
密かにあることに取り組んでいたowner。
その集大成をご披露しましょう。
------------------
神楽坂を上り切る頃、左に見えてくるのが毘沙門天。その向かいの「福屋」の看板には「毘沙門せんべい」と書かれている。確かにこの店の看板商品は「毘沙門せんべい」だが、名物は「勘三郎せんべい」のほうだ。まだ店先でせんべいを焼いていた頃、17代(先代)の中村勘三郎が「もっと焦がせ」と注文をつけたところから生まれたという。特別注文として応じるうちに、他の客からも所望され、「勘三郎せんべい」と名付けて売るように。先代は魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったらしい。「勘三郎せんべい」が登場するまで、せんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡すので、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかったとの逸話もある。
(2005年10月14日 朝日新聞 君島佐和子「逸品ものがたり」より)
------------------
これを私が書き換えると下記の通りになるのです。
------------------
1)面白がっているような表現に
「勘三郎せんべい」をご存じだろうか?
写真で見ると焦げが多く、一見失敗作のせんべいを集めたように見える。しかしこれがれっきとした商品。なんでも17代(先代)勘三郎の好みというからなお驚きである。
販売元は「福屋」。場所は東京神楽坂の毘沙門天向かいにある。
看板商品に「毘沙門せんべい」があるけれど、名物は「勘三郎せんべい」。
看板商品と名物が違うというのも面白い。
もともとこの商品は、店先でせんべいを焼いていた頃生まれた。
先代中村勘三郎が、焼き職人に「もっと焦がせ」と注文をつけたという。
その特別注文に応じている中で生まれたのがこのせんべい。
意外なことに他の客からの所望も多かったし、なにより焦げせんべいを焼かされて、逆手に取った職人の知恵か?「勘三郎せんべい」と名付けて売るようになったらしい。
先代の勘三郎は、魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったという。だからこのせんべいが売られるまで、先代はせんべいの焦げた部分だけ食べて残りは弟子に渡していた。
「割れたせんべいしか食べられない」と言っている弟子たちも、先代勘三郎の人柄がわかるからこそ苦笑しながら食べていたに違いない。
こんな話が残っているというのも一興。
神楽坂・せんべい・勘三郎いずれも独特の味がある。
------------------
2)小さい子供にわかるような表現に
これからお話をするのは、神楽坂の「福屋」名物、「勘三郎せんべい」のお話です。
神楽坂(かくらざか)というところは今でも下町情緒が残っているところ。「福屋」はそんな東京神楽坂の毘沙門(びしゃもん)のそばにあるお店です。
その看板に大きく書かれ、表向きの代表的な商品になっているのは「毘沙門せんべい」ですが、有名なのは「勘三郎せんべい」です。
まだ店先でせんべいを焼いていた頃のこと。
歌舞伎役者の17代(先代)中村勘三郎(1909-1988)(今の勘三郎のお父さん)がこのお店を気に入ってよく通っていたときに、「もっと焦がせ」と注文をつけて焼いて貰っていたそうです。今で言うオーダーメイドですね。
そんな注文で応じるうちに他のお客さんから欲しいと言われ、だったら「勘三郎せんべい」と名前を付けて売りだしてみようと思ったのでしょう。お店の人も考えたね。
先代の勘三郎は、魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったと伝えられています。ですからこの「勘三郎せんべい」が登場するまで、せんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡していたので、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかった、と言う話が残されています。
商品開発や新しいものの創作は、こんな小さな知恵や機転から生まれてくるのです。
名物ができる背景を知るのって面白いですね。
------------------
3)部下が上司に伝えるような表現に
神楽坂の毘沙門天向かいに「福屋」ってお店があるんですが、看板には「毘沙門せんべい」と書かれているのに、名物は「勘三郎せんべい」だそうです。ご存じでしたか?
看板商品と名物商品が違う話はよくありますが、その誕生秘話が面白いんです。
まだ福屋の店先でせんべいを焼いていた頃、17代(先代)中村勘三郎が贔屓にしてて「もっと焦がせ」と注文をつけたそうです。
何しろ相手は先代勘三郎。店にしてもお得意様ですよね。
ご贔屓にして頂いているお客さまの特別注文にオーダーメイドで応じるうちに、他のお客さんからも欲しがられるようになったそうです。
そこで店の人は考えたんでしょう。いっそ「勘三郎せんべい」と名付けて売るようにしてはどうか?…と。そして商品化されたのがこの「勘三郎せんべい」。まさにカスタマーサービスから生まれた商品ってわけです。
かくいう私も先代の好みってどんなのか?一度は口にしたいと思いますもの。そんな感覚なんでしょうかね?
先代の勘三郎は魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったそうです。
聞いた話によると「勘三郎せんべい」が売られるようになるまで、先代はせんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡していたそうです。まるでわがままな子供がそのまま大人になったような話ですけど…
ま、それはともかく、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかった、と言う逸話が残っているくらいだったそうです。
…ビジネスって本当に意外なところにヒントがあるんですね。
「勘三郎せんべい」からこんなヒントが貰えるとは思いませんでした。
------------------
4)哲学的な表現や哲学用語を用いて表現
東京神楽坂を登り切ったところにある毘沙門天善国寺。山手七福神の一つに数えられている神楽坂の毘沙門天は、「芝正伝寺」「浅草正法寺「と共に江戸三毘沙門天と呼ばれていた。その向かいに店、名は「福屋」。その看板と壁には大きく「毘沙門せんべい」…確かにこの店の看板商品は「毘沙門せんべい」らしい。だが今ではすっかり「勘三郎せんべい」の方が有名。昔ながらの手焼きせんべい手法を守るこの店の名物商品だ。
まだ店先でせんべいを焼いていた頃、焼きの職人技を見ている客の中に17代(先代)中村勘三郎がいた。なんでも先代勘三郎は魚でもパンでも焦げてなければ気が済まなかったという。ゆえに「もっと焦がせ」とせんべいの焼き方に注文をつけたのは想像に難くない。特別注文として応じるうちに、他の客からも所望され、ついには「勘三郎せんべい」と名付けて売るようになったらしい。
「勘三郎せんべい」が登場するまでというもの、勘三郎はせんべいの焦げた部分だけ食べていたという。残りを弟子に渡すので、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかったとの逸話もあるほどだ。
店の軒先で交わされた会話の中から「勘三郎せんべい」は生まれた。私はまだ食べたことがないが、焼きの職人が一人のせんべい好きのために焼き上げたことは想像に難くない。こうして誕生秘話を知るとなおさらに味わい深いモノに変わる。
「勘三郎せんべい」。逸話を知った今、神楽坂へ行ったら私の目に真っ先に飛び込んでくるに違いない。そのせんべいを口にしたとき、私は一体何を思うのだろう。今からその日が楽しみである。
------------------
5)遠い昔の思い出のような表現に変えてください。
東京神楽坂は庶民の生活の残る街。その神楽坂を登り切る頃左に見えてくるのが、毘沙門天。そのお向かいに見えるのは「福屋」。看板には「毘沙門せんべい」と書かれているその店には看板商品「毘沙門せんべい」が置かれている。確かに看板商品は「毘沙門せんべい」、だが名物は他にある。その名も「勘三郎せんべい」。
昭和がまだ色濃く残る頃。福屋はせんべいを店先で焼いていた。
せんべいの醤油の焦げる匂いに誘われて、立ち止まって見ていた客の中に17代(先代)中村勘三郎の姿があった。魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったらしい先代勘三郎は、「もっと焦がせ」と職人に注文をつけていたという。特別注文として応じているうちに他の客からも所望され、ついには「勘三郎せんべい」と名付けて売るまでになった。
それまで勘三郎はせんべいの焦げた部分だけしか食べず、残りを弟子に渡すので、弟子達は割れたせんべいしか食べられなかったとの逸話もある。子供のように無邪気に職人に所望する姿に、勘三郎の人柄が偲ばれる。
客と職人との会話の中で生まれた一品。
客のこだわりと職人の寛容が織りなした芸術品とも言えないか。
客と職人との直接対話が少なくなった今、このような名物品が生まれることは稀である。
勘三郎せんべいは逸話も含めて、味のある一品として皆に愛され続けている。
------------------
6)自分の一番好きなように表現してください。
神楽坂には江戸情緒が色濃く残る。昔は殆どが階段だったという神楽坂を登り切った頃に、左に見えてくるのが毘沙門天。その向かいにある「福屋」の看板には「毘沙門せんべい」と
大きく書かれている。確かにこの店の看板商品は「毘沙門せんべい」、だが名物は他にある。その名も「勘三郎せんべい」。
まだ店先でせんべいを焼いていた頃のこと。客の一人に117代(先代)の中村勘三郎がいた。店先で醤油の香りに誘われてふらっとやってきた勘三郎。もともと魚でもパンでも焦げていないと気が済まない質だったことから「もっと焦がせ」と子供のように注文したに違いない。
売り物になるかならないかのギリギリのところで応じた職人との阿吽の呼吸。自分のために焼き上げられた一枚を頬張る勘三郎の満足げな様子を想像するに難くない。
そんな特別注文に応じているうちに、他の客からも所望され、「勘三郎せんべい」と銘打って商品化。そして今に至る。
「もっと焦がせ」と注文をつけたと勘三郎。そしてそれに答えた職人。その様子を見守っていた観客は、ハラハラドキドキだったに違いない。
そこから生まれた職人の作品は、特別注文から名物へと成長した。
勘三郎のこだわりから生まれた一品。
職人では考えられない焼き方であっても望む人がいる。
客と職人の会話があった時代の話。
「勘三郎せんべい」が登場するまで、せんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡していた勘三郎。弟子たちにしてみれば割れたせんべいしか食べられなかった笑い話が、勘三郎が亡くなってからはそれが逸話となる。
味覚の思いでは忘れがたいという。
神楽坂に、せんべいに、そして弟子達の味覚の中に。
先代勘三郎は今でも息づいている。
------------------
いかがだったでしょう?
ちなみに「福屋」はこちら→
「勘三郎せんべい」はこちら→
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
もしよろしかったら、私の作品への率直な感想をお願いいたします。
その集大成をご披露しましょう。
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神楽坂を上り切る頃、左に見えてくるのが毘沙門天。その向かいの「福屋」の看板には「毘沙門せんべい」と書かれている。確かにこの店の看板商品は「毘沙門せんべい」だが、名物は「勘三郎せんべい」のほうだ。まだ店先でせんべいを焼いていた頃、17代(先代)の中村勘三郎が「もっと焦がせ」と注文をつけたところから生まれたという。特別注文として応じるうちに、他の客からも所望され、「勘三郎せんべい」と名付けて売るように。先代は魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったらしい。「勘三郎せんべい」が登場するまで、せんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡すので、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかったとの逸話もある。
(2005年10月14日 朝日新聞 君島佐和子「逸品ものがたり」より)
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これを私が書き換えると下記の通りになるのです。
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1)面白がっているような表現に
「勘三郎せんべい」をご存じだろうか?
写真で見ると焦げが多く、一見失敗作のせんべいを集めたように見える。しかしこれがれっきとした商品。なんでも17代(先代)勘三郎の好みというからなお驚きである。
販売元は「福屋」。場所は東京神楽坂の毘沙門天向かいにある。
看板商品に「毘沙門せんべい」があるけれど、名物は「勘三郎せんべい」。
看板商品と名物が違うというのも面白い。
もともとこの商品は、店先でせんべいを焼いていた頃生まれた。
先代中村勘三郎が、焼き職人に「もっと焦がせ」と注文をつけたという。
その特別注文に応じている中で生まれたのがこのせんべい。
意外なことに他の客からの所望も多かったし、なにより焦げせんべいを焼かされて、逆手に取った職人の知恵か?「勘三郎せんべい」と名付けて売るようになったらしい。
先代の勘三郎は、魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったという。だからこのせんべいが売られるまで、先代はせんべいの焦げた部分だけ食べて残りは弟子に渡していた。
「割れたせんべいしか食べられない」と言っている弟子たちも、先代勘三郎の人柄がわかるからこそ苦笑しながら食べていたに違いない。
こんな話が残っているというのも一興。
神楽坂・せんべい・勘三郎いずれも独特の味がある。
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2)小さい子供にわかるような表現に
これからお話をするのは、神楽坂の「福屋」名物、「勘三郎せんべい」のお話です。
神楽坂(かくらざか)というところは今でも下町情緒が残っているところ。「福屋」はそんな東京神楽坂の毘沙門(びしゃもん)のそばにあるお店です。
その看板に大きく書かれ、表向きの代表的な商品になっているのは「毘沙門せんべい」ですが、有名なのは「勘三郎せんべい」です。
まだ店先でせんべいを焼いていた頃のこと。
歌舞伎役者の17代(先代)中村勘三郎(1909-1988)(今の勘三郎のお父さん)がこのお店を気に入ってよく通っていたときに、「もっと焦がせ」と注文をつけて焼いて貰っていたそうです。今で言うオーダーメイドですね。
そんな注文で応じるうちに他のお客さんから欲しいと言われ、だったら「勘三郎せんべい」と名前を付けて売りだしてみようと思ったのでしょう。お店の人も考えたね。
先代の勘三郎は、魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったと伝えられています。ですからこの「勘三郎せんべい」が登場するまで、せんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡していたので、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかった、と言う話が残されています。
商品開発や新しいものの創作は、こんな小さな知恵や機転から生まれてくるのです。
名物ができる背景を知るのって面白いですね。
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3)部下が上司に伝えるような表現に
神楽坂の毘沙門天向かいに「福屋」ってお店があるんですが、看板には「毘沙門せんべい」と書かれているのに、名物は「勘三郎せんべい」だそうです。ご存じでしたか?
看板商品と名物商品が違う話はよくありますが、その誕生秘話が面白いんです。
まだ福屋の店先でせんべいを焼いていた頃、17代(先代)中村勘三郎が贔屓にしてて「もっと焦がせ」と注文をつけたそうです。
何しろ相手は先代勘三郎。店にしてもお得意様ですよね。
ご贔屓にして頂いているお客さまの特別注文にオーダーメイドで応じるうちに、他のお客さんからも欲しがられるようになったそうです。
そこで店の人は考えたんでしょう。いっそ「勘三郎せんべい」と名付けて売るようにしてはどうか?…と。そして商品化されたのがこの「勘三郎せんべい」。まさにカスタマーサービスから生まれた商品ってわけです。
かくいう私も先代の好みってどんなのか?一度は口にしたいと思いますもの。そんな感覚なんでしょうかね?
先代の勘三郎は魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったそうです。
聞いた話によると「勘三郎せんべい」が売られるようになるまで、先代はせんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡していたそうです。まるでわがままな子供がそのまま大人になったような話ですけど…
ま、それはともかく、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかった、と言う逸話が残っているくらいだったそうです。
…ビジネスって本当に意外なところにヒントがあるんですね。
「勘三郎せんべい」からこんなヒントが貰えるとは思いませんでした。
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4)哲学的な表現や哲学用語を用いて表現
東京神楽坂を登り切ったところにある毘沙門天善国寺。山手七福神の一つに数えられている神楽坂の毘沙門天は、「芝正伝寺」「浅草正法寺「と共に江戸三毘沙門天と呼ばれていた。その向かいに店、名は「福屋」。その看板と壁には大きく「毘沙門せんべい」…確かにこの店の看板商品は「毘沙門せんべい」らしい。だが今ではすっかり「勘三郎せんべい」の方が有名。昔ながらの手焼きせんべい手法を守るこの店の名物商品だ。
まだ店先でせんべいを焼いていた頃、焼きの職人技を見ている客の中に17代(先代)中村勘三郎がいた。なんでも先代勘三郎は魚でもパンでも焦げてなければ気が済まなかったという。ゆえに「もっと焦がせ」とせんべいの焼き方に注文をつけたのは想像に難くない。特別注文として応じるうちに、他の客からも所望され、ついには「勘三郎せんべい」と名付けて売るようになったらしい。
「勘三郎せんべい」が登場するまでというもの、勘三郎はせんべいの焦げた部分だけ食べていたという。残りを弟子に渡すので、弟子たちは割れたせんべいしか食べられなかったとの逸話もあるほどだ。
店の軒先で交わされた会話の中から「勘三郎せんべい」は生まれた。私はまだ食べたことがないが、焼きの職人が一人のせんべい好きのために焼き上げたことは想像に難くない。こうして誕生秘話を知るとなおさらに味わい深いモノに変わる。
「勘三郎せんべい」。逸話を知った今、神楽坂へ行ったら私の目に真っ先に飛び込んでくるに違いない。そのせんべいを口にしたとき、私は一体何を思うのだろう。今からその日が楽しみである。
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5)遠い昔の思い出のような表現に変えてください。
東京神楽坂は庶民の生活の残る街。その神楽坂を登り切る頃左に見えてくるのが、毘沙門天。そのお向かいに見えるのは「福屋」。看板には「毘沙門せんべい」と書かれているその店には看板商品「毘沙門せんべい」が置かれている。確かに看板商品は「毘沙門せんべい」、だが名物は他にある。その名も「勘三郎せんべい」。
昭和がまだ色濃く残る頃。福屋はせんべいを店先で焼いていた。
せんべいの醤油の焦げる匂いに誘われて、立ち止まって見ていた客の中に17代(先代)中村勘三郎の姿があった。魚でもパンでも焦げていなければ気が済まなかったらしい先代勘三郎は、「もっと焦がせ」と職人に注文をつけていたという。特別注文として応じているうちに他の客からも所望され、ついには「勘三郎せんべい」と名付けて売るまでになった。
それまで勘三郎はせんべいの焦げた部分だけしか食べず、残りを弟子に渡すので、弟子達は割れたせんべいしか食べられなかったとの逸話もある。子供のように無邪気に職人に所望する姿に、勘三郎の人柄が偲ばれる。
客と職人との会話の中で生まれた一品。
客のこだわりと職人の寛容が織りなした芸術品とも言えないか。
客と職人との直接対話が少なくなった今、このような名物品が生まれることは稀である。
勘三郎せんべいは逸話も含めて、味のある一品として皆に愛され続けている。
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6)自分の一番好きなように表現してください。
神楽坂には江戸情緒が色濃く残る。昔は殆どが階段だったという神楽坂を登り切った頃に、左に見えてくるのが毘沙門天。その向かいにある「福屋」の看板には「毘沙門せんべい」と
大きく書かれている。確かにこの店の看板商品は「毘沙門せんべい」、だが名物は他にある。その名も「勘三郎せんべい」。
まだ店先でせんべいを焼いていた頃のこと。客の一人に117代(先代)の中村勘三郎がいた。店先で醤油の香りに誘われてふらっとやってきた勘三郎。もともと魚でもパンでも焦げていないと気が済まない質だったことから「もっと焦がせ」と子供のように注文したに違いない。
売り物になるかならないかのギリギリのところで応じた職人との阿吽の呼吸。自分のために焼き上げられた一枚を頬張る勘三郎の満足げな様子を想像するに難くない。
そんな特別注文に応じているうちに、他の客からも所望され、「勘三郎せんべい」と銘打って商品化。そして今に至る。
「もっと焦がせ」と注文をつけたと勘三郎。そしてそれに答えた職人。その様子を見守っていた観客は、ハラハラドキドキだったに違いない。
そこから生まれた職人の作品は、特別注文から名物へと成長した。
勘三郎のこだわりから生まれた一品。
職人では考えられない焼き方であっても望む人がいる。
客と職人の会話があった時代の話。
「勘三郎せんべい」が登場するまで、せんべいの焦げた部分だけ食べては残りを弟子に渡していた勘三郎。弟子たちにしてみれば割れたせんべいしか食べられなかった笑い話が、勘三郎が亡くなってからはそれが逸話となる。
味覚の思いでは忘れがたいという。
神楽坂に、せんべいに、そして弟子達の味覚の中に。
先代勘三郎は今でも息づいている。
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いかがだったでしょう?
ちなみに「福屋」はこちら→

「勘三郎せんべい」はこちら→

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
もしよろしかったら、私の作品への率直な感想をお願いいたします。
