思えば昨年も同じ題名で同じことを書いていた。
意図してのことではなく、全くの偶然。
だけど今年は彼女の状況が違っていた。
1年間の間に彼女はこの地を離れ、違うところで日々を過ごしていた。
だけどこのダンススクールの25周年記念とのこともあり、週末になるとダンスのためにこの地へ足を運び、この日に向けて仕上げていったのだ。
何度か彼女の名前を確認して、出る順番をしっかり頭に入れていたはず・・・だった。
でも何を考えていたのか?私はすっかり彼女の出る順番を間違えて覚えていた。
お嬢様に何度か聴かれた。「お姉ちゃんの出るのはいつなの?」
トンチンカンな親は「あと5つ先よ~」と言ってたのに、ふと舞台を見たら彼女がいた。
「うっそ・・・」
間違いない。自分の記憶は危ういけれど、目に映っているのは間違いなく彼女だ。
「ごめ~ん。お姉ちゃんあそこにいたわ」とお嬢様にささやく私。ああ、なんてこと。
舞台には変わらぬ彼女がいた。
終演後「Iカラーが出てましたね」とメールをしたけど、不思議と彼女だけはどこで踊っていても見つけ、どこで動いていてもわかってしまう。
今回思ったことは・・・
群舞を通して、一度は自分の個性やカラーを殺さなくてはいけないんだろうなぁ~と漠然と思った。その考えの真偽のほどはともかくとして、バラバラだったジュニアクラスから、だんだんと上級クラスに行くに従って群舞は圧倒される迫力が出てくる。
一度受け入れ、その後表現されるものは力強く優雅。それは単に身体の線だけではなく、身体全体の伸びやかさにつながってくるのかなぁ?
スポンサーサイト