2008.07.31 (Thu)
おばの話
聞けばお中元のお礼のようだ。
「いやぁ〜本当は○○(伯母の名前)に電話をさせようと思ったんだけど…」
伯母は今、富士山登山の真っ最中。
「明日のご来光を目指して、今晩当たり5合目から登るんだよね」
この伯母の趣味はマラソン。ホノルルマラソンはもちろんのこと、東京青梅マラソンをはじめあちこちを行脚している強者。ここ10年くらいはお遍路さんにも手を出して、四国巡りを2〜3度したと記憶している。
「おじさんも大変だよね〜この暑いところお一人で…」
血のつながる伯母なので、何となく伯父に申し訳なく思いつつ、
ふとそんな言葉が口をつく。
「いやぁ〜近頃○○は『たっちゅう』にはまって…」
「はい?」
「『たっちゅう』…昔の言葉で言えば『ピンポン』だね」
「…ああ、『卓球』ですね」
伯父の世代の方言では、『き』と『ち』の区別がうまくできない。
「そう、それで週3日はいないから…今日も頂いたモノを開けて一杯引っかけてたよ」
先日まで踊りにはまっていたと言う伯母。
はまるモノは違えど、亭主(=伯父)にとっては伯母が家にいないことは同じこと。
そして独り寂しく酒を空ける伯父… 伯父と伯母は今でもラブラブである。
2008.07.30 (Wed)
お墓掃除
そのまま帰るわけにはいかない、訳ありの水だったこともあり
「だったらこのままお墓へいって、この水をあげてこよう!」と回り道。
妹はさっさとその水を持ってお墓へ。
手際よく竹筒に水を入れるものの、肝心の花はこの暑さのため痛んでいた。
「だったらこの花、片付けよう」と、引き受けた私は
花を捨てるところを探していた。その間にも休まずせっせと働く妹。
そして事件は戻ったときに起きた。
「…おねえちゃん。もう一つの水、持ってきて!
間違えて他の人のお墓を掃除してた…」
妹によると余った水をお墓にかけて、さて腰を据えてお参りしようと
改めて墓石を見たら… 我が家の名字とは違う名前が刻んであったとのこと。
「道理で隣のお墓が随分近くになったなぁ〜と思っていたのよ」と言う私も私。
しばらく行かないうちに墓場のレイアウトが変わってしまい、違いがわからなかった。
「だって木が植えてあったよね〜」と言ってももう遅い。
我がご先祖様の墓を見れば、確かに木が植えられていた。
違っていたのは切られていたこと。「これじゃあわからないよね〜」と妹、
姉、無言…
このそそっかしい姉妹の様子を、ご先祖様は墓石の向こうで爆笑していたに違いない。
もうすぐお盆。しばらくご無沙汰してしまった日々をぼんやり想う。
2008.07.29 (Tue)
15歳の夏
今の私を取り巻く世界には、ちょっとばかりご縁のなさそうな人との出会いが訪れるとき、不思議の扉が開かれる。例えば高校生達との時間。「子供が高校生」なら話はわかるし、親戚(例えば甥や姪、拡大解釈してよく行き来する従兄弟など)が、それ以外ではまずあり得ない。…で、そこで何を思ったか。年甲斐もなくと言われそうだが、私は「時をかける少女」となって過去の自分と対面を果たす。
15歳の頃、私は何をしていたか?
中学生の日々を当たり前のように過ごし、当たり前のように夏期講習に通って、当たり前のように高校に進学するものだ信じ切っていた時期。
ある時先生に呼び止められた。「英語の弁論大会に出てみないか?」
なぜあのとき選ばれたのか?わからない。
後で聞けば断られ続けての私へのご指名だったらしいが、それでも受ける気になったのは不思議。かくして日本語で伝えたいことを書くよう指示を去れ、それを英訳して大会に臨むことに。
日本語で書くのは楽だった。内容は私と英語の出会いの話。
父の知り合いでもあったアメリカ人宣教師のもとへ、毎年お邪魔するのが恒例になっていた我が家。その質素でありながらも日本家屋をアメリカ的に装飾した雰囲気がとても好きだったので、子供なりに訪ねるのが楽しみだった。そんな懐かしい子供時代を思い出しながら書く文章が、数日後に英語になって返ってきた。これを読むのか…
英訳されて戻ってきた文章は、私にとっての輝きを失っていた。
言いたいことがストレートに伝わらないだけでなく、着慣れない衣装に身を纏いぎこちなく笑うよう強制されたモデルのような気分だった(…と今なら言葉も出てくる)
だからというわけではないけれど、教室に独り残ってスピーチの練習をするのも苦痛。文章から伝わるのは私ではない私。どうも居心地が悪い。
その日も私は残されていた。職員会議終了後に見ていただくためだ。
独りで残る教室は寂しい。どうしようかな…と思っていたら、数人の男子生徒が将棋を指していた。最初一緒にやるように言われたものの、日本人でありながら私は将棋を知らない。当時チェスのコマの動かしはちょっとだけかじっていたので、教えて貰いながら居残りの相手をしてもらうことに。最初彼らは遠巻きに見ていたのだが、細かいところになってくるとどうしても口を出さずには居られなかったらしく、結局取られてしまった私。居場所をなくし、やむなく先生の様子を見に行くことに。…終わる様子はない。
何しろ職員室から一番遠い教室。戻ると将棋には飽きたらしく、今度は黒板一杯に迷路を描き出した。…描き出されていく迷路を見ながら「何でこんなコトに熱中するのかなぁ…」と呆れながらも、その芸術性に惚れ惚れして見とれる私。英語どころではなくなった。放課後にこんな世界があったのだと初めて知った瞬間。自分の知らない世界の扉がちょっとだけ開いた気がした。
「こらぁ〜!何をしているんだ!!」
幸せなひとときは一瞬で壊された。戸締まりのために見回っていたその教師は、私を待たせていたことをすっかり忘れていた担当教諭。誰もいないと思っていたのに、4人も残っていたので驚いたらしい。「早く帰れ!と言ってたはずだ!」…って先生、私、先生を待っていたんですけど。そして彼らは私につきあってくれてただけなんですけど…気がつけば真っ赤な夕日が沈もうとしていた。
それから約2週に渡り、やはり私は練習のため残されていた。あの日を境に私は教室に残ってくれた彼らと、あのときと同じ時間を持つことはなかった。
英語と古き良きアメリカの風と教室。
受験前のほろ苦い、セピア色の思い出1つ。
2008.07.28 (Mon)
部活動
気分は高校生なのだけど所詮無理がある。同級生の中にはこのくらいの年代の子供を持つ人もいるわけで、いわば自分の子供と一緒に部活をするのと同じこと…ああ、微妙(苦笑)
生徒さん達が練習をしている間に起きた出来事が2つ。
一つは先生に勧誘されていた生徒が断りに来たこと。
そしてもう一つは先生に過去問を借りに来たこと。
「受験勉強と学祭準備で部活に入れない」と言ってきた男子生徒の言葉には、自信のなさが見え隠れ。自分の声に自信もないのだろうが、それ以上に受験の重圧に対するとまどいなのか?それでも声をかけてもらったコトへのうれしさを全面に出していたことが可愛かった。
もう一人の生徒は…きっとまじめな生徒なんだろう。必死で先生に食らいついていたのが感じられた。受験の時に先生に聞く生徒ではなかった私。友人にもそういうタイプがいたわけではなかったので不思議な思いで見ていた。心境がわからないではないけれど…。
17歳の心で精一杯。
いろんな可能性に気付くことなく、気付いても発揮する術を知らずに戦いに挑む。
彼らの未来に幸あれ!
2008.07.27 (Sun)
2008.07.26 (Sat)
3人は同級生
まさかそこに参加していたとは思っていなかったので、「似ているなぁ…」と、ただそれだけだった。その後すれ違ったときに確信を持った私。「やっぱり〜?」
その人はIくん。
当時我がクラスは全て名前呼びしていたので、当然Iくんも名前で呼ぶはずだったのに、クラスに同じ名前が2人いた。確か皆は他の人をあだ名呼びしていたけれど、私はあだ名で呼ぶのにどうしても抵抗があり、呼ぶことなくその学校を去った。だからIくんのことは今でもフルネームで呼んでしまう不思議な関係。
Iくんと同じクラスの時、Iくん含めて5人で教科を競っていた。幼い頃の話だから競争心むき出しにしてやっていたわけではないけれど、その後中学〜高校までその5人は同じような道へ進んでいったこともあってか?何となく近い存在であったのは確か。だからすぐに声を掛けることができたのかもしれない。
自慢じゃないが私はこの町の学校へ編入していることもあり、転校後のクラスメイトの動向は殆ど知らない。それどころか興味もないのか?「家の主人が同級生で…」と言われても「ごめんなさい…知らないの」と言ってしまう、大変無礼なヤツである。だが転校前のクラスメイトは別。顔と名前の一致はもちろんだけど、なぜか?知っているんだなぁ…その後のことまで。で、Iくんも噂はちらほら聞いていたのですんなりと話ができたというわけ。
ちょうどお嬢様の年齢の頃の話。
私たちが話をしていたところへお嬢様が乱入。そして歯科医師の同級生の話に。何を思ったのか?Iくんはお嬢様を捕まえて、歯科医師同級生の話を振った。
「なおちゃん先生と私とお母さん、み〜んな同い年なんだよ。」
一瞬お嬢様が固まった。固まった後に何も聞かなかったようにして「あっちへ行くね〜」とその場を去った。どういうことだぁ?
そして寝しなにそのときのことを聞いてみた。
「なおちゃん先生とI先生(小学校の先生をしていたのでIくんなので、あえて『先生』と呼んでみた)そしてママと、誰が一番年上に見える??」
するとお嬢様。Iくんの予想を裏切るであろう回答をしたのだった。
「I先生が一番お兄さんに見えた」 母、絶句…
(なおちゃん先生は若○げ… お父さんは若くしてつるつるしていたくらいだから…)
…この回答を聞かせてやりたい……
Iくん、がっかりしてうなだれるかもしれない(笑)
2008.07.25 (Fri)
お嬢様との会話
お兄ちゃんが倶楽部をやっているNくんが、おもちゃのピストルを持ってきたのが最初らしい。そのNくんはズボンの間にピストルを挟み、おへその辺りで(つまり腹で)ピストルを撃ちまくるイメージでいるらしい。見方によってはちょっと危ないけれど、本人は大まじめらしいのがおかしい。
そしてお嬢様は倒れた…ああ、もう限界。お嬢様を連れて帰らねば…。
「ママァ〜男の子達、変!」 …そりゃぁ理解不能だろう。
そして「お風呂場☆緊急会議」が開かれる。
「ママァ〜今日のお題は『男と女について』にしようね!」
…ってお前〜 そのお題は飛躍しすぎやしないか?(苦笑)
2008.07.24 (Thu)
2008.07.23 (Wed)
過去からの訪問者
「owner、いますか?」唐突なその声にとにかく驚いた。
「はい、私ですが…」「Kです」「!」
20年前の私を知るその人物は、唐突に私の前に現れた。
私の知る限り波乱の人生を送ったその人は、宮城から二本松に車で向かっているという。
なんとか時間が取れそうだ…私はKの待つ場所へ向かう。
「20Kg増えた」とK。確かに貫禄がついたが、それ以外は変わっていなかった。
表情も話すこともちょっとしたときにみせるくせに至るまで、何一つ変わっていなかった。人ってあんまり変わらないんだなぁ…とつぶやいてみる。
Kと会う前にIへメール、するとKとの話の最中に電話がかかってきた。
Iに至ってはKと話をするのは17年ぶり。IとKの間で交わされるその話を聞いていたら一気に時が吹き飛ぶ。東京で出逢ったKとI、そしてなぜか?20年前の私との4人がここで再会している。
実はこの日、私は仙台に行くことになっていた。私が仙台に行っていたら、電話のベルが鳴るのがあと数分遅かったら…今回のKとの再会はなかった。不思議。
この場にいなかったIも含め、ひとときを共有したことが胸に残る。
Kとの間で交わされた会話の中で、クリアになったことが一つ。
この時間は意図して作られたKのための時間?それとも…
2008.07.21 (Mon)
東京見聞録 覚書
出発:家を出た時刻 6:35 駅到着時刻 7:00 乗車時刻 7:22
移動:<1日目>
新幹線(福島ー東京)→山手線(東京ー浜松町)→徒歩(竹芝)
→ゆりかもめ(竹芝ー台場)→水上バス(お台場海浜公園ー日の出桟橋ー浅草)
→都営地下鉄浅草線(浅草ー芝大門)
<2日目>
都バス(東京タワーー渋谷)→山手線(渋谷ー東京)→新幹線(東京ー福島)
場所:台場(フジテレビ)→浅草(浅草寺)→芝大門(東京タワー展望)
芝大門(東京タワー水族館)→渋谷(NHKスタジオパーク、Loft、散策)
食事:五穀米ランチ、ピザ&パスタ、おにぎりお味噌汁、パスタ、もんじゃ&お好み焼き
土産:一筆箋、メモパッド、ねじ巻きおもちゃ、鉛筆&シール、伝言ボード、ぬいぐるみ
もやっと消しゴム、ストラップ、カチューシャ、入浴剤、「瞳」もんじゃ
2008.07.20 (Sun)
お江戸からTokyoへ
盛りだくさんすぎるので、改めて振り返りながら記録します。
とりあえずご報告まで…♪
2008.07.19 (Sat)
何となく、何となく…
親のやりたいことが増えたせい。
この「やりたいこと」の半分でもお嬢様が持ってくれたなら
私は心から応援できるのに…
そんなもどかしさを持ちながらお嬢様に向かうとき、
どうしても声が怖くなるらしい。
明日からのお出かけの中で、
その興味のスイッチを入れることができるのかなぁ…?
2008.07.18 (Fri)
2008.07.17 (Thu)
2008.07.16 (Wed)
高校時代の私…続々々編
ばけがく部の陽気な展開…それは秋も終わり、ほどよく肌寒くなった頃に訪れる。
…そう、私たちは「文部大臣賞」を受賞したのだ!
かつてない賞に部員はもちろんのこと、菅野大先生は喜んだ。
「おまえ達、本当に頑張ったものなぁ…」
何をおっしゃいます?大先生!!!それは先生様々のお陰でございます。
「身近なテーマをここまで掘り下げたのは素晴らしい!」の一言を頂き、
そして晴れて?私たちは東京の授賞式へ行くことになったのだった。
皇族への謁見もあった。それには先輩と先生、そしてもう一人行くことになった記憶があるが、それが誰だったのか?私はすっかり忘れている。当時部長だった私が言っても良さそうなものだが、譲ったのか?他に賞状を受け取る大役を仰せつかったのか?全く記憶にない。
記憶の片隅に残っていたものと言えば、表彰される学校が同じ宿に宿泊していることから、一関市の学校に通っていた1つ上の「大束さん」と仲良くなったこと。(彼女とはその後しばらく文通をしていた)
そのときの先生のお姿は、今でも忘れることができない。
バーコード(に近い)髪型をキチンとセットし、ビシッとスーツを着込み、いそいそと表彰式へ向かう先生のネクタイをお直ししたことを突然思い出した。
うれしそう〜な、恥ずかしそう〜な、まるで少年のような先生のお姿。ああ、いつも汚い(というより「汚ったない」)ヨレヨレ(というよりヨレ〜ッ)とした白衣を着て怖い顔をしている先生とは大違いだ!
そして先生を送り出した後、残された部員数名は(なぜか?)いわさきちひろ美術館へ行くことに。(この辺りの因果関係がよくわからない…が)まるで夫を送り出して、いそいそと買い物に出かける主婦の感覚!(笑)学校を公欠しているにもかかわらず、である。そして最後に(これまたなぜか?)有楽町のどこかのビルの屋上で、ケーキを食べた私たち。う〜ん…意味不明。
いずれにしてもこの「文部大臣賞」は引っ張った。
内閣総理大臣賞に次ぐ入賞だっただけに、先生はもちろんのこと部員も鼻高々…と言いたいところだが、気の小さい私は先生や先輩が(かなり…というより殆ど)まとめてくださったものを、いかにも我らの手柄のようにして賞を頂くのは正直心苦しい以上に苦痛だった。というのもこの辺りから「ばけがく部部長」の名誉職に似合わず、私の化学の成績は急降下だったから(涙)
イオン分解やmol計算等今では全く覚えていないし、なんのためにやっていたのかさえ思い出すことができないけれど、とにかく絶対に経験できなかったことが満載であることは確か。華やかな実験の集大成の時に私が在籍できたのは、本当に幸せなことだったと後になって実感する。
そして最後にもう一つ、化学部在籍の中で手にすることができたことが…
それはまた後日に話を取っておこう…
2008.07.15 (Tue)
それを表すのが難しい
完全に理解していないところがあったので、思わず口出しをしてしまった。
彼女が理解してなかったのは、
大問題と小問題の関係と実際の答え方と、一緒に描かれていた図の理解。
何度も何度も説明をしてもらうものの、一向に話すことができないお嬢様。
それでも辛抱強く、何度も説明を求めた。
涙目になるお嬢様。少林寺開始の時間になっても容赦はしなかった。
図に描いてもらっても、よく理解してないからトンチンカンな図を描き
オッペケぺーな説明をする。
…だめだぁ〜こりゃ…
ふと見ると、そこにおはじきが… 「これだ!」
そして図で描かれていたものを、実際におはじきを使ってレクチャーする。
俄然彼女の顔付が変わった。どうやらようやく理解したらしい。
親として一番うれしい瞬間。
あと何回、こんな瞬間を見つけることができるのだろう?
この瞬間を見逃さず、そこにぶつけていくのが難しい。
2008.07.14 (Mon)
2008.07.13 (Sun)
2008.07.12 (Sat)
2008.07.11 (Fri)
やること、満載!
今日は授業参観日。
最後の学級懇談会の中で出てきたこと。
「総合学習の時間に『パソコン』に取り組んでいます。
できることできないこの差が歴然と出てきています。
4年生になると『学級新聞』をパソコンで作ります。
家にパソコンがある環境の方は、ぜひお子さんに練習させてください。」
「高学年になると『古典』が少しですが出てきます。
今から慣れ親しむことが大事と、百人一首をしています。
古典の文章に今から馴れてください。」
…ひえぇ〜〜 子供が遊ぶ時間がなくなるではないか!
それだけ急激に文明が進んだということか?
それとも多様化してきたと見るべきか?
小さい頃からやらなくてはいけないくらい、盛りだくさんの今の教育。
本当に「やりたい」から探すのは困難な時代。
今の年代だから興味もあって、対応できる私だけれど…。
「ねばならぬ」「〜してください」からの出発は、
どうもモチベーションが下がるらしい…と改めて知る。
2008.07.10 (Thu)
2008.07.09 (Wed)
高校時代の私…続々編
毎年恒例の「夏期合宿」では、東京で開催される展覧会を見に行くこと。しかも化学に全く関係のない「恐竜展」!…なんじゃそりゃ?である。
当時宿泊したのは、お茶の水辺りの安いお宿。その際後楽園が近くにあったことから、後楽園のルナパークで遊ぶのがお約束。
これを書いていて思いだしたのは、当時は特急列車で行く旅、しかも制服。特急列車の名前は「やまびこ」4時間くらいかかったであろうか?ボックスにみなで座ることもなく、自由席に点でバラバラに坐っての旅だったと記憶している。(学生に「指定席」は贅沢だ!)
それにしても東京の印象で残っているのは、「お茶の水」という地名にあるまじき、すさまじき水のまずさ。それは今でも口の中に残っている、埃っぽい「これって人が飲むものなの?」と言いたくなるような匂いと味。田舎ものの姉ちゃんにとって、飲めた水ではなかった。当時ミネラルウォーターなどこの世に存在してなかったし、水分補給は缶ジュースonlyで今のようなお茶などはどこを探してもなかった。暑い夏にあっついお茶を入れて、(文字通り)何となくお茶を濁して水分補給したものだった。(1年目は水でお腹を壊し、ルナパークで遊べなかった部員もいたと記憶している)
第2の「明るい未来」はまた後日にするとして……しかしなぜに「恐竜展」…?しかも1年目は「マンモス展」だったぞ!その旅行先の選択についての謎は未だに残る。う〜ん…さすが菅野大先生、「科学博物館」へ行ければそのオプショナルはどうでもよかったらしい(…と今になって知る。)
それからもう一言言わせてもらえば、あの当時なんの疑いもなく制服で上京した私たちだが、今にして思えばなぜにあのダサダサの制服での上京だったのだろう…?とず〜っと疑問になっていた。多分あの頃の菅野大先生の年齢に近づいた今、「もし私が引率するなら」…と考えると絶対に制服着用させるだろうと言う思いに至る。
理由は簡単。見つけやすいから(多分)。恐竜展やマンモス展は「三越」や「高島屋」の(今にして思えば)デパートの企画展だった。そんなところに連れて行くにはやっぱり制服でしょう。(紛れてしまうモンね☆)
長年の謎が解けたところで、さらに続く…
2008.07.08 (Tue)
高校時代の私…続編
で、何を実験していたか?というと…「なぜしょう油で10円玉がきれいになるのか?」という、「小学生でもつけないぞ!こんな題名」的な実験。
一部「骸骨」のあだ名を持つ、偉大なる菅野大先生(ここは「すげの」と読まれたい)号令の元、私たちは10円玉がきれいになるその秘密を日夜追い求めることになった。…といってもこの実験は3年くらい行っているもので、先輩達がその礎を築いては去り、築いては去り…そして私たちはほぼ仕上げ段階の要員(…と後で知ることになる)
そもそも10円玉というのは銅でできている。
基本的に表面が茶色いのは酸化しているわけで(決して手垢ばかりではない)、その酸を取り除く家庭用の洗剤は、強い酸(トイレの液体「サンポール」とかね)の(いわゆる)劇薬系のもののはず。しかし菅野大先生は「おしょう油をかけると10円玉がきれいになった」ことに着目、というわけ。
菅野大先生はすごかった。
おしょう油の成分調べからコツコツと、それはそれは地道な研究をされていた(…と後から知る)その仮説→実験→まとめの「仮説」と「まとめ」を先生がご担当くださり、私たちは「実験」→「後片付け」担当。ああ、これぞ師弟愛!これぞ美しき分担作業!(…って、自分たち高校生のための部活だろうに…)
私たちのやったこと。
新入部員は「ピペット」の使い方から練習。
劇薬であろうがなんだろうが、ピペットで正確に「吸い上げ」なくてはいけないわけで、先輩に「硫酸が入っているから心して吸い上げるように!」の注意を受けながら、そ〜っとそそ〜っと吸い上げたところで「まだ足りない!」と一喝され、何度口に入れてしまったことか…! おわかりの通り硫酸など入ってはおらず、結局は危機感を持っての練習。5mlのピペットから200ml(だったかな?)のホールピペットまで、そりゃありとあらゆるピペットをすわされた。ついでに言えば、部室に意味不明のこんなのが転がっていて、「なにこれぇ〜?」と思っていたけど、後に硫酸から私たちを守ってくれる安全ピペッターと判明。吸い上げるのは蒸留水とアミノ酸系のものに限られた。
脱線したがこのピペット扱い、暇なときはみなで「ピペット選手権〜♪」を行う。ジュースを買ってきて、ピペットで一気吸い。100mlくらいまでは楽勝だけど、200〜500ml(だったかな?)になるとかなりきつかったのを覚えている。
それから張り切ってやっていたのは「試験管洗い」一度に3本くらい平気で洗っていた。私は洗うのも好きだが、最後に蒸留水を掛けるのが異常に好きだった。普段の試験管はさほど高いものではなかったけれど、他の部にはない(当たり前だが)光度計なるものを購入した化学部。光度計自体はさほどでもないが、そこに使う試験管が(こんなに小さいのに)高価! しかし我らの手にかかると高価だろうが安価だろうがそんなの関係ない!思う存分割りまくった(先生ごめんなさい)
…というように、「よく学び、よく遊べ」の精神を十二分に発揮した我ら。実験以外の遊びに燃えまくった「ばけがく部」の未来は、なぜか?異常に明るかった …続く
2008.07.07 (Mon)
2008.07.06 (Sun)
本の不思議…
今から8年くらい前に読んだことがある本…という確信があって
部屋のいろんなところを探したけれど、一向にその本が出てくる気配がない。
その後、本の提供者に何かできることがないか?探してみたら、
何冊か候補の本が見つかる。聞けば読んだことがないという。
届ける約束をして届けたものの、意図したわけではないけれど
どうしても一冊が届けられない。
別の方とお話をする機会があり、あれこれ話をするほどに
今度はその方にもご縁がありそうな本であることにも気付く。
考えるほどにいろんなことが出てきそうで…疲れる。
2008.07.05 (Sat)
2008.07.04 (Fri)
2008.07.03 (Thu)
2008.07.02 (Wed)
2008.07.01 (Tue)
高校時代の私…
話したことがあったかどうか?わからないけれど、この際だから一気に放出。
…と言っても、最近(気付いていらっしゃるかどうか?わからないけど)「起承転結」ブログに傾倒していたので、どこまで語ることができるか…疑問…
さてさて私が入った部活。それは当時のF女生なら知っている、泣く子も黙る「化学部」(ここではぜひ「ばけがくぶ」と読んで欲しい)
ピカピカの1年生の私は、「将来の私は『医療関係』」とばかりに、(今思っても不思議なのだけど)中学卒業時は不得意分野と実感するものがなかった、怖いもの知らずだったことも追い風になって、無謀にも化学部の門戸を叩いたものだった。…といっても、本当は弓道部に入りたくてウズウズしていたのだけど、「運動部はいかん!」という父の厳命によって、運動部はのぞくことさえ自主規制(涙) よって、白衣の匂いに誘われて、フラフラ〜っと立ち寄ってしまったのが、後者の片隅にひっそりと存在する「化学部」だったのだ。
ほどよくお腹のすいた女子高生にとって、化学部はあまりにも怪しかった。
「こちらへどうぞ〜」の声に誘われ、「いらっしゃ〜い」と満面の笑顔の陰に隠された知性に私たちはころっとだまされたと、後で知ることになる。
まずは贈答品作戦。
「こんなの作れるんです〜」と差し出されたのは、葉脈の標本。
椿など、固い葉であるほどよく作れるという。しばらく液体につけた後、歯ブラシでトントンと葉肉を取っていく。その加減が難しいらしいことは後で知ることになるのだが、「まずはトントンやってみるぅ?」…の甘い(オイオイ!)言葉に誘われて、ふらふらと中へ引き込まれていく。そして…
「はい、買ってきたよぉ〜」と買い出し部隊の到着。
手にはシンプルに食パン。果たしてこれは何に使うのだろう…?
「お腹すいたでしょ?はい、ハチミツパン」と差し出されたのは…タダのパン。
よく見ると、確かに表面がつやつやしている。
おそるおそる食べてみると…おお!確かにハチミツの味。
「人をその気にさせるには、胃袋を満足させればOK!」を、体得した瞬間。
こうして断らざるを得なくなって2年半、私はこの怪しい実験室に通い詰めることになったである。
続編は気が向いたときに…乞うご期待ください!!
